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チューリップのアップリケ
急に寒なりおましたな。

チューリップのアップリケ_e0037166_8574064.gifさて
前回の日記で書いた、
星野富弘さんの事を
教えてくれた先生の事を
思い出した。

それは美大の先生ではなく、
美術科の先生でもなく、
小学校の時の先生だった。


私は小学校の頃、色々あって、
学校が嫌で嫌で仕方ない子供だった。

ただ、
その先生が担任してくれた3・4年生のその2年間だけは、
とてもとても楽しかったのだった。

雪が降れば授業をちょっとやめて、
校庭に飛び出て雪合戦をする。
当時流行っていた『風雲!たけし城!』のパロディの
水でっぽう遊びは本当に楽しかった。

彼の友人も群馬で先生をやっており、
そこのクラスメートと生まれてはじめての
文通をしたりもした。

皆の学校にもいただろうか。
他のクラスからうらやましがられる、そんな先生。

そして彼はいくつかの大事な事を教えてくれた。

そう、星野富弘さんという、口で絵筆を持ち、
やさしい花の絵を描く人のことも彼から教わった。

もう一つ、彼の教えてくれた事で印象深いものがある。

その話をしようと思います。

ある日の道徳の時間。彼はカセットレコーダーを持って来た。

「聴いてほしい歌がある」
そう言い、スイッチを押した。

レコーダーから流れてきたのは
フォークの神様、岡林信康の
『チューリップのアップリケ』だった。

当時からしてもかなり古い歌である。
もちろん当時はタイトルも歌手名も知る由もない。
後年、個人的な趣味で岡林信康を聴き、
この曲に再会したのだった。

少々引用します。

…♪

うちのお父ちゃん 暗いうちからおそうまで
毎日くつを トントンたたいてはる
あんな一生懸命 働いてはるのに
なんでうちの家 いつも金がないんやろ
みんな貧乏が みんな貧乏が悪いんや

チューリップのアップリケ
ついたスカート持って来て
お父ちゃんも時々 こうてくれはるけど
うちやっぱり お母ちゃんにこうてほしい
うちやっぱり お母ちゃんにこうてほしい

♪…

といった歌だった。
小学校3・4年生が理解するには、
まだちょっと早いテーマではなかったかな。
そもそも同和問題は
中学校から教わる手筈だった。

しかし、歌よりも、私たちはその時の彼を見て驚いた。

ボロボロ
泣いていたわけです。

大人で、男である先生が、
歌を聞いただけで、ボロボロボロボロ
泣いていたのだった。

一部の男子は、それをネタにしてからかったりして、
先生もまた照れ笑いをしていたが、
その
「先生が泣いた歌」は
私にとっては結構、衝撃的な記憶だった。

その『チューリップのアップリケ』には
放送禁止歌に指定された背景があった事を
大人になって知った。

同じく放送禁止歌になった「手紙」を聞きつつ、
彼の感受性と人間性に改めて思いを馳せてみた。

あの時、彼が伝えようとしてたものを
正確に受け取れたかは分からない。

けど、自分が大事だと感じたものを
『相手は子供だから』などと言わず、
そのまま素直に伝えようと色んな事を教えてくれた。

先生。
先生。

今、どうしておられるのでしょう。

あの暗い小学校時代。
ほんの少しの間でも、
あなたの生徒でいられて
本当に良かったです。
by yasjiji | 2008-11-27 08:51
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